その2年後の宝亀11年(780)、
坂上田村麻呂公が妻室・三善高子命婦の安産のため、
夏の暑い日に鹿を求め音羽山に上がってこられました。
そしてひと筋の水の流れを見つけ、そのあまりの美しさに、
水源を求めて歩みを進めるうちに草庵にたどり着き、
賢心と出会いました。
坂上田村麻呂公は賢心に鹿狩りに上山した旨を話すと、
観音霊地での殺生を戒められ、
観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の教えを諭されました。
深く感銘を受けた坂上田村麻呂公は、
この賢心が説かれた清滝の霊験、
観世音菩薩の功徳を妻室に語り聴かせ、
共々深く仏法に帰依(きえ)されました。
そして後日、自らの邸宅を仏殿(ぶつでん)に寄進し、
十一面千手観世音菩薩を御本尊として安置されました。」
(清水寺HPより)